「さすらいのびん博士」と申します、以後お見知りおきを、と文面をはじめてみたものの、どうも月並みでいけない。といって、乙なあいさつの言葉もみつからない。とにかくガラスびんフォーラムのホームページに書かせていただくことになったことを感謝するとともに、いざ皆様に対し「びん博士」などと名乗りをあげて、何を書けばいいのかと悩んでしまう。
吉田兼好でもきどって「心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく」書き記すことにしようか。
そういえば、非社会的人間について、宗教哲学者のベルジャーエフという人が、「簡単に社会的環境から孤立し、逃避し、自己の精神生活と想像をそこから引き離そうとする」傾向を指摘しているけれども、どうやら自分は明らかにそのタイプであるらしい。
生きてゆくのにそれではまずいと思っても、なぜか早くも幼少の頃より諸行無常に目覚め、しかもこの現世では富も名声も得られそうにない運命(さだめ)を感じて今まで生きてきた。
とはいえ、屁理屈のようだけれども、はじめから諸行無常を感じていると意外に楽であるような気もする。常にそんな思いでいれば、いざ世間がバブルで浮かれようと景気低迷で行き詰まろうと、あわてふためくことはないし、いやそれ以上に、たとえ著名な大科学者が、これから数十億光年先に太陽系は滅びるなどと予言しようとも、一向にうろたえたり鬱になったりする必要はないのである。なんて、またまた憎まれ口のようなことをいってしまった。
とにかく結論を急ごう。これまでわたくしは「びん博士」としてびんの収集をしてきたけれども、それらは使われた空びんであって、いわゆる現役で使用されているびんというニュアンスでは決してなかった。いうなれば、用済みになった「なれの果て」のびんを集め愛(め)でてきたのである。そしてその意味ではいつでもいいもわるいも、諸行無常を感じてこざるをえなかったのである。
そこで居直るつもりもないが、そんなわたくしの心境からのメッセージを、むしろ読者の皆様方には楽しんでいただけないものであろうか?しかもそんな条件の上で、いっとき浮世のことを忘れ、古(いにしえ)のびんたちについてのよもやま話に耳を傾けていただけないであろうか、と、まあ、そのように思うのである。
ところで今回、写真で紹介させていただいたびんたちは、ボトルシアターの二階にあるわたくしの書斎で撮影いたしましたもの。題して「諸行無常のびんたち」(写真一)です。
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