前回は前口上をのべるという言い訳で、ぶつくさと焦点の定まらないことばかりいっていた気がする。とにかく今後の展開としては、空きびんに翻弄されて四半世紀以上さまよいつづけてきた、そしてこれからもさまよいつづけるであろう、わたくしの涙あり笑いありの奇想天外な体験談を、そこはかとない調子で?語ることができればと思っている。
そしてもしできることならば、なにかの序でのときにでも、皆様方からの熱いご支援の言葉、ないし情容赦ないお叱りの言葉などを賜りながら、和気あいあいとやっていければとも願っている。
(皆様、この点は肝心ですぞ。今日の情報社会は確かに進歩を遂げたとはいえ、あまりにも管理されすぎた雑多な情報ばかりがあふれ、むしろある種の人間疎外がおこっている。つまり人間本来の語らいを失いつつあるように思われる。そこでできれば皆様方とは、古き良き時代の、のんびりとした日向(ひなた)の縁側の語らいのようなものを実現できればと願っているのです)
それにしても「さすらい」という言葉、「渡り鳥シリーズ」に影響を受けて育ったわたくしにとりましては、なんともおあつらえ向きの言葉。きっとここに共感してくださる同世代の方々も多くおられることでありましょう。けれども寄る年波、わたくしもさまようことに少々疲れを感じてきたのも事実。そんなわけでフォーラムでは、できるかぎり肩の力をぬきリラックスした調子で、けれども誠心誠意語らせていただくつもりでおります。
ところで今回、写真で紹介させていただくびんたちは、古い廃屋で見つかったそのままの、美しく汚れた?戦前の、コルク栓「アカチン」びんと、ネジ栓口「オキシュール」びん(写真一)。 私が現在集めているガラスびんといえば、大概がきれいに洗ってあるものばかりである。
ハケと呼ぶ昔のごみ捨て場から掘り起こした古いびんについては、その泥だらけな姿から洗われて本来のガラスの美しさを取り戻すその瞬間こそが、たまらない魅力なのである。
けれども、ときには汚れている姿そのままが、何かを物語っていると思えることもある。
この写真にあるオキシュールと赤チンのびんは、まさにそんな汚れの魅力とでもいいたい風情を私に感じさせてくれる。思わず「ご苦労さん」とねぎらいの言葉をかけたくなるびんたちなのである。
ちなみに、わたくしは写真に関しては全くの素人ですので、ほんのスナップ写真程度にお考え下さいますように。では、こんごとも宜しくお引き立てのほどお願い申し上げます。
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